仏教はキリスト教やイスラム教と並んで「世界三大宗教」と呼ばれることが多い。ところが、その中身をきちんと説明できるかと聞かれると、答えに詰まる人は多いのではないだろうか。
宗教学者・島田裕巳氏の『教養として学んでおきたい仏教』は、そんな「知っているようで知らない仏教」を、信者数の実態から釈迦という人物の謎、日本人の死生観の成り立ちまで、順を追って解きほぐしてくれる一冊だ。
読み進めるうちに、仏教というものが一枚岩の宗教ではなく、インドで生まれてから中国、日本へと渡る間に姿を変え続けてきたことが見えてくる。教養として仏教を学び直したい人にとって、格好の入り口になる本だと感じた。
「世界三大宗教」と言われても、仏教はいちばん小さい
本書はまず、仏教が実際にはどれくらいの規模の宗教なのかというところから始まる。
仏教は世界の三大宗教の一つと言われる。他の二つはキリスト教とイスラム教である。 ただし、信者の数ということでは、仏教はキリスト教やイスラム教にはかなわない。世界で一番信者が多いのがキリスト教で、その次がイスラム教だ。どちらも、唯一絶対の神、世界を創造したとされる神を信仰する「一神教」である。
引用:『教養として学んでおきたい仏教』島田裕巳著
さらに本書は、仏教を生んだインドのヒンドゥー教にすら信者数で及ばないことも指摘する。「三大宗教」という呼び名を聞いてなんとなく思い描いていた仏教の位置づけと、実際の姿とのギャップに、読み始めてすぐに引き込まれた。
釈迦は本当に実在した人物なのか
仏教の開祖といえば釈迦だが、本書はその実在性について踏み込んだ議論を展開する。
結局のところ、歴史的な人物としての釈迦がどういった生涯を歩んだのかは明らかになっていないのである。 しかも、最古の仏典とされる『スッタニパータ』において、悟りを開いた人を意味する仏陀ということばは、単数形ではなく、「仏陀たち」という形で複数形で表現されていた。仏陀となったのは、釈迦一人だけではなかったのである。 しかも、『スッタニパータ』などについて研究した仏教学者の並川孝儀は、「ゴータマ・ブッダの生涯(仏伝)は、初期経典には出家や、修行、成道、入滅にいたる晩年などの足跡が個別的に説かれるものの、誕生から入滅までの全般にわたる伝承はみられない」と述べている(「原始仏教の世界」『新アジア仏教史 02』)。 個別のエピソードは伝えられていても、それは一人の人間の生涯としてはまとめられていなかったのだ。それを踏まえて考えてみると、釈迦という人物が存在し、現在にまで伝えられているような生涯を歩んだというのは確かなことではなく、むしろ、釈迦は架空の人物であった可能性が高くなってくる。
引用:『教養として学んでおきたい仏教』島田裕巳著
個別のエピソードは伝わっていても、生涯として一貫してまとめられた記録は残っていないという指摘は、仏教の始まりについて漠然と抱いていたイメージを大きく揺さぶられた箇所だった。宗教の始まりというものが、思っている以上に霧の中にあることを、この本で初めて意識させられた。
日本とインドでこんなに違う「輪廻」の考え方
同じ仏教でも、生まれた土地によって死生観がまるで違うという指摘も印象的だった。
日本の輪廻の考え方では、現世において善行を行えば極楽浄土に往生することができ、悪行を重ねれば地獄に落とされるのである。 インドの場合には、まず極楽浄土という考え方が欠けている。死後に安楽な世界に生まれ変わることができるとは考えられていないのだ。 現在、人間として生を受けた者は、たまたまそうなっているのであって、来世は人間以外の存在に生まれ変わるかもしれない。むしろそちらの方が多い。家畜に生まれ変わるかもしれないし、さらには蠅や蚊に生まれ変わるかもしれない。家畜に生まれれば、死ぬまで人間に使われる。蠅や蚊なら、叩き殺される。 そのため、インドでは、輪廻はひどく苦しいこととして考えられている。輪廻して、よりよい世界に生まれ変わる可能性はほとんどない。そこで宗教の目的は、修行を重ねることで解脱し、輪廻のくり返しから脱することにある。 輪廻がくり返されるわけだから、現世においてどのように生きたとしても、それは意味を持たない。インドの人たちが歴史に関心を持たなかったのも、歴史は現世での出来事を記録するものだからで、彼らはそこに意味を見出せなかったのである。 輪廻のくり返しからいかに脱していくか。それが、インドの宗教の根本的なテーマである。
引用:『教養として学んでおきたい仏教』島田裕巳著
現世をどう生きるかに意味を見出す日本の輪廻観と、輪廻そのものから抜け出すことを目指すインドの輪廻観。同じ「輪廻」という言葉を使っていても、目指す先がまったく逆であることに驚かされた。
「空」の教えが教えてくれること
仏教の核心にある考え方として、本書は「空」の教えも丁寧に説明している。
空の教えは、私たちが見ていること、感じていることなどが、実は実体がないことを説いている。 にもかかわらず、私たちは、さまざまなものごとにとらわれている。それが空であると分かれば、とらわれから解放され、煩悩が消滅する。空の考え方は、哲学であるとともに、煩悩を消滅させる方法論でもある。
引用:『教養として学んでおきたい仏教』島田裕巳著
とらわれから自由になるための考え方として説明されると、空という言葉が持つ難解な印象が少しやわらいだ。哲学であると同時に、日々の生きづらさへの処方箋でもあるという捉え方は、教養としてだけでなく実生活の支えとしても役立ちそうだ。
仏教を知ることは、日本人の死生観を知ることだった
読み終えて感じたのは、仏教というものが特定の教義の集合ではなく、時代と土地によって形を変え続けてきた「生きた宗教」だということだ。三大宗教としての規模感、輪廻という考え方の違い、空という哲学——どれも、なんとなく知っているつもりだったことが、実はきちんと知らなかったのだと気づかされた。特に、釈迦が実在の人物として一貫した生涯を残していないという指摘には、読みながら大きく揺さぶられた。
本書は古代の教義の話だけで終わらず、直葬が広がる現代日本の葬式のあり方にまで話が及ぶ。仏教を単なる古い知識としてではなく、いまの自分たちの暮らしにつながるものとして捉え直したい人に、特におすすめしたい一冊だ。教養として仏教の輪郭をつかんでおきたい人には、最初の1冊として選んで間違いない。
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