悩みから解放され、心穏やかに生きるための禅の知恵

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現代を生きる私たちは、日々の人間関係や将来への不安、周囲からの評価など、多くの悩みに囲まれています。どうすれば他者と自分を比べず、何事にもとらわれずに、軽やかな心で生きていくことができるのでしょうか。

今回は、曹洞宗の僧侶であり作庭家でもある枡野俊明氏の言葉から、心を整え、今この瞬間を大切に生きるためのヒントを紐解いていきます。

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1. 過去や未来にとらわれず「今」を生きる

多くの人が抱える不安の大部分は、まだ見ぬ未来への恐れや、過ぎ去った過去への後悔です。禅の世界では、何よりも「今」という時間を重視します。

「今」を一生懸命に生き切る

私たちはつい、「明日もし失敗したらどうしよう」「将来が不安だ」と、まだ起こっていない出来事に心を奪われがちです。しかし、どれだけ心配しても未来を変えることはできません。

起こってもいない未来を心配することは、今という時間を 無為 に過ごすことと同じです。 人生の真実は「今」という時間の中にしかありません。ですからこそ、今を一生懸命に生き切ること。それこそが、禅の教えの基本なのです。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

未来を好転させる唯一の方法は、不確かな先行きを憂うことではなく、目の前にある「今」という瞬間に全力を注ぐことなのです。

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2. 物や評価への執着を手放す

私たちはたくさんのモノに囲まれ、他者からの評価を気にして生きています。しかし、それらの執着から一歩引いてみることで、心には大きな余白が生まれます。

持ち物を最小限にしてみる

あれも欲しい、これも欲しいという物欲は、私たちの心を騒がせます。禅僧の修行生活は、まさにその対極にあります。

私たち禅僧の修行時代には、一人に与えられるスペースはたたみ一畳分です。その奥に物入れがあり、その中に最低限必要なものだけを置いています。余分なものはいっさいありません。 そんな生活をしていく中で、物欲はどんどん姿を消していきます。欲しいものなど何もないという 心持 になっていく。その 清々しさは何物にも代えがたいものでした。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

すべてのモノを捨てる必要はありませんが、「本当に必要なものは何か」を見つめ直すことで、物欲に振り回されない清々しさを実感できるようになります。具体的には、日常のアイテムも驚くほど少なくて済むものです。

バッグなど、極端な言い方をすれば3つあれば十分です。仕事用のものを一つ。普段使いのものを一つ、そして冠婚葬祭用のバッグを一つ。本来ならばこれで十分間に合うはずです。ホックが壊れたら修理すればいいし、あまりにも古くなったら、そのときに買い替えれば済みます。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

あいまいな「評価」に振り回されない

学校や職場での評価に一喜一憂し、疲れてしまうことも多いでしょう。しかし、評価というものは絶対的なものではなく、環境や相手によって容易に変わるものです。

営業部で評価されない人でも、総務部で評価されることもあるでしょう。あるいは上司が替わった途端に評価が上がることもあります。 要するに評価などというものは、それくらい曖昧で移ろいやすいものなのです。そんな移ろいやすいものに執着したり、振り回される必要などないのです。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

他人が下す曖昧な評価に自分の価値を委ねてしまうのをやめると、もっと自由に、自分らしく生きられるようになります。

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3. 人間関係を楽にする心の持ち方

他者との関わりの中で生まれるストレスは尽きません。禅の視点を取り入れると、人付き合いのハードルをぐっと下げることができます。

好き・嫌いを決めつけない

私たちは出会った人をすぐに「好きな人」「嫌いな人」と分類しがちですが、その極端な二者択一が自分自身を苦しめる原因になります。

「あの人はこういう人だ」「あの人の性格はこうだ」人はつい決めつけたがる。 しかし、人間とはそんなに簡単に決めつけられるものではありません。表面に現われているほんの一部だけを見て判断することは、人間関係を窮屈なものにするだけです。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

白黒をはっきりつけようとせず、グラデーションのような曖昧さを受け入れることが大切です。

もっと言うなら、好き嫌いという心を捨ててもいい。好きでもなければ嫌いでもない。どちらかと言うと少し好き。ちょっとだけ嫌いなところがある。それくらい曖昧な位置づけをすることです。 どちらか一方に決めようとするから、そこに悩みが生まれてくる。どうせ、決めることのできないことなのですから、あえてどっちつかずの状態で置いておけばいいのではないでしょうか。 心の中で好き嫌いを生み出すことを止めてしまえばいいのです。 そんな心持があれば、ずいぶんと人づき合いの悩みは解消されるものです。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

ぶつかり合いは「心を磨く機会」と捉える

誰かと意見が食い違ったり、小さなトラブルが起きたりすると落ち込むものです。しかし、それすらも自分を成長させてくれる貴重なプロセスだと捉え直すことができます。

小さな行き違いやぶつかり合いはあって当たり前です。 夫婦であれ、友人であれ、仕事場の同僚であれ、いつも心が重なり合うことなどありません。一人ひとり考えが違って当たり前。その考えもまた、日々で変わることさえあります。 そんな小さな心のぶつかり合いによって、お互いの心は少しずつ磨かれていく。土だらけだった原石が、いつしか美しい光を放つようになる。それこそが心の成長ということになるのです。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

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4. 日常を温かくする言葉の力

日々の言葉遣いや、ささやかな感謝の積み重ねが、自分と周囲の環境を大きく変えていきます。

愛語と「ありがとう」の魔法

人と接するとき、どのような言葉を選ぶかで関係性は180度変わります。禅には「愛語(あいご)」という美しい教えがあります。

そして何よりも大切なことは、相手に対する言葉づかいです。 慇懃無礼 なほどの言葉を使う必要はありませんが、やはり美しい言葉づかいを心がけることです。言葉づかいなどどうでもいい。心が綺麗であれば、多少乱暴な言葉づかいでもかまわない。そう言う人もいます。 もちろん何十年もつき合ってきた友人ならばそれでもいいでしょうが、それほど心を許せる関係は、そう多くはない。日常的に接する人たちに対しては、やはり美しく丁寧な言葉でやり取りすることです。 仏教ではこれを「 愛語」と言います。愛情のある言葉づかいをすることで、人との関係は暖かなものになる。 棘 のある言葉のやり取りは、互いの心を閉ざしてしまう。これは一つの真理であると思います。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

そして、その愛語の代表とも言えるのが「ありがとう」という言葉です。

「ありがとう」という魔法の言葉を大事にしてください。 「ありがとう」が溢れている職場には、必ず元気が溢れている。 「ありがとう」という言葉を掛け合っている二人には、必ず強い絆が生まれてくる。 「ありがとう」が行き交っている家には、きっと幸せが宿っている。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

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5. 人生において真に大切なものを見極める

最後に、私たちが生きていく上で、本当に失ってはならないものは何かを考えてみましょう。

あなたにとっての「一本の竿」とは

禅語に「漁夫 生涯 竹 一竿(ぎょふしょうがい たけいっかん)」という言葉があります。

「漁夫 生涯 竹 一竿」という禅語があります。 直訳すれば「漁夫は生きていくために、生計を立てるために、 釣竿 が一本あればそれでいい」という意味です。 つまり、人間が生きていくために絶対に必要なものはとても少ない。他のものはすべて、生きていくためには余分なものだ。それら余分なものを捨てて、真に大切なものを見極めなさいという教えです。 であるならば、あなたにとっての「一本の竿」とは何でしょうか。 「パソコンさえあれば仕事ができる」「携帯電話がなければ生きていけない」「いちばん大切なものはお金に決まっている」そんな声が聞こえてきそうです。 しかし、それらすべては「一本の竿」とはなりえません。パソコンやお金など、そんな上っ面なものが人生の一番であるはずはないのです。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

人生の終着点や極限の状況において、私たちが本当に守りたいものは、決してお金や地位といった目に見える道具ではありません。ある父親のエピソードが、その真実を物語っています。

幼い我が子を亡くされた父親が私に言いました。 「仕事なんてどうでもいい。お金などいらない。家なんか売ってしまってもいい。自分の命さえいらない。だからこの子を死なせないでほしい。私は心の中で、ずっと祈り続けていました」と。 このご両親にとっては、我が子の命だけが「一本の竿」だったのです。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

家族の命や大切な人とのつながり、そして自分自身が「今」を生きているということ。それこそが、私たちが最も大切にすべき人生の根幹なのです。

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毎日を「良き一日」にするために

生きていれば、晴れの日もあれば雨の日もあります。すべてが順調にいく日ばかりではありません。しかし、最後に以下の禅語を心に留めておいてください。

「日日 是 好日」という有名な禅語があります。 「毎日が良き一日」という意味ではありません。一年の中で晴れの日もあれば、大雨の日もある。晴れの日が良い日で、雨の日が悪い日ということではない。 晴れの日には晴れの良さがあるし、雨の日には雨の良さがある。そう思うことで、毎日が自分にとって良い一日になるという教えなのです。 悩んでいる今日も、苦しんでいる今日も、それもまた、自分にとっては良い一日と考えること。いずれは変わっていくのですから、悪い日だと決めつける必要はないのです。 雨の日が三六五日続くことは、ぜったいにありません。

引用:『比べず、とらわれず、生きる』枡野 俊明著

どんな状況であっても、それをどう受け止めるかは自分の心次第です。他人と比べず、目の前の「今」を大切にしながら、一歩ずつ歩んでいきましょう。

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