『史上最強の哲学入門』を読んで学ぶ、真理を追い求めた哲学者たちの生き方

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「絶対に正しいこと」なんて、この世にあるのだろうか。飲茶さんの『史上最強の哲学入門』を読み終えて、まずそんな問いが頭に残りました。

この本は、ソクラテスからデカルト、カント、ニーチェ、そして現代の哲学者たちまで、「真理」をめぐる哲学者たちの格闘の歴史を、一人ひとりのドラマとして描いた一冊です。難しい用語を並べる入門書とは違い、それぞれの哲学者がなぜその考えにたどり着いたのか、何と戦っていたのかが、まるで物語を読むように伝わってきます。

『史上最強の哲学入門』というタイトルに気負いを感じる人もいるかもしれませんが、読んでみると身構える必要はありません。むしろ「哲学者も普通に悩んで、普通に間違えていたんだな」と、ぐっと距離が縮まる本でした。

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史上最強の哲学入門が説く「絶対の真理」への疑い

本の前半で繰り返し出てくるのが、「絶対的な真理なんて存在しない」とする相対主義と、それに立ち向かった哲学者たちの構図です。水の冷たさひとつをとっても、感じ方は人によって違う、という話が印象的でした。

たとえば、あるコップの中に、あなたにとって「冷たい水」が入っていたとする。では、「このコップには冷たい水が入っている」と断言してもいいだろうか? いやいや、必ずしもそうだとは言えない。なぜなら、極寒の雪景色の中にいる人が、同じ水に手を入れたら「温かい」と言うだろうからだ。こんなふうに、水の「冷たい/温かい」一つをとってみても、それらは人それぞれの相対的なもので、絶対的な「冷たい/温かい」を決めることなんてできないのである。

引用:『史上最強の哲学入門』飲茶著

たしかにその通りだと思う一方で、「じゃあ何を信じればいいのか」という不安も湧いてきます。その不安と真正面から向き合ったのがソクラテスでした。彼は自分が「知らない」ことを認めたうえで、道行く人に問い続けた人物です。

ここで重要なのは、ソクラテスはいわゆる偉い知識人たちのように知ったかぶりをして「これこれがホントウの善だ」などと、自説を押しつけがましく語ったりはしなかったことだ。それどころか、彼は「私は真理について何も知りません」と自らの無知をさらけ出し、「だから、一緒にそれを考えようよ」と道行く人々に話しかけたのである。

引用:『史上最強の哲学入門』飲茶著

「無知の知」という言葉は学校でも習いますが、これを単なる謙虚さの教訓として覚えていた自分に、この本は気づかせてくれました。ソクラテスにとってそれは処世術ではなく、真理への情熱そのものだったのだと知り、見方が一段深くなった気がします。

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デカルトが見つけた、疑い抜いても残る一点

相対主義に対して、もう一つの答えを出したのがデカルトです。彼は「確実に正しいもの」を直接探すのではなく、「疑えるものはすべて疑う」という遠回りな戦略を取りました。そうやってすべてを疑い尽くした末に、一つだけ疑いようのないものが残ったといいます。

「我々の認識は、すべて嘘かもしれない……。そして、あらゆるものを疑うことができてしまう……。でも……、この世のすべてを疑えたとしても……、それを『疑っている私』がいるということだけは『疑えない』のではないだろうか! なぜなら、たとえ、その『疑っている私』の存在を疑ったとしても、やっぱり『疑っている私』がいることは真だからだ!」

引用:『史上最強の哲学入門』飲茶著

「我思う、ゆえに我あり」という言葉自体は知っていたつもりでしたが、そこに至るまでの思考の道筋を追ってみると、単なる格言ではなく、一人の人間が本気で不安と向き合った末の発見なのだと実感できました。答えを疑い尽くす覚悟があったからこそ、たどり着けた一点だったのだと思います。

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史上最強の哲学入門で出会う、生き方としての哲学

この本のもう一つの魅力は、哲学を「役に立つかどうか」という視点で捉え直すプラグマティズムの章です。本質を問い続けると議論は堂々巡りになりがちですが、効果や機能で考えると、話は驚くほど前に進みます。

ようするに、「で? それって結局、何の役に立つの?」という観点で、すべての物事を考えましょう、という話だ。たとえばの話、「固い」ということについて、その本質を問いかけるのはとても難しい。実際、「固さとは何か?」と本質的な問いかけをすれば、いくらでも思索を続けることができるだろう。だが、「固いということは、どういう効果を生み出しているか?」と実用の観点で問いかけたならば、「固い」を定義したり説明したりすることはそんなに難しいことではない。

引用:『史上最強の哲学入門』飲茶著

抽象的な問いに沈み込みそうになったとき、「それは何の役に立つのか」と視点を変えるだけで、驚くほど楽になれることがあります。日々の考え事にもそのまま使える、実用的な知恵だと感じました。

一方で、ニーチェが描いた「末人」の姿には、ぎくりとさせられました。目指すものを持たず、ただ穏便な毎日が過ぎることだけを願う人間の姿です。

ニーチェは、自らの著作の中で、終末の時代──すべての価値観が崩壊した世界──を生きる 末人 と呼ばれる者たちの姿を描写している。末人とは、何も目指さずに生きている人間のことである。彼らは、ただ健康とよき眠りだけを求め、穏便に人生が終わることを願って、なんとなく生きていくだけの存在である。

引用:『史上最強の哲学入門』飲茶著

一〇〇年以上前に書かれたはずのこの言葉が、今の自分にそのまま刺さってくることに驚きました。何かを目指すこと自体が、実はとても能動的な選択なのだと、この一節で改めて突きつけられた気がします。

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まとめ

『史上最強の哲学入門』は、真理をめぐって命がけで格闘した哲学者たちの姿を通して、「自分は何を信じて生きているのか」を静かに問い直させてくれる一冊でした。哲学書を読み慣れていない人にこそ、まずすすめたい本です。人物のドラマとして読めるので、難しい専門用語につまずくことなく最後まで読み通せます。

個人的に特に刺さったのは、ニーチェの「末人」の一節でした。目標を持たず、ただ穏やかな日々を願うだけの生き方に、自分自身の姿が重なって見えたからです。読み終えたあと、「何かを目指すこと」を当たり前のことではなく、意志のいる選択として捉え直すようになりました。

真理とは何か、正しさとは何かという問いに一度立ち止まりたくなったとき、そばに置いておきたい一冊です。

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