「貧困」とは何か。
それは単にお金がない状態ではない。
鈴木大介『最貧困女子』は、低所得よりもさらに深い次元で人を追い詰める“見えない欠乏”を、丹念な取材によって描き出している。本記事では、本書の核心となる視点を、必要最小限の引用を交えながら整理し、私たちが見落としがちな構造的問題を考えていく。
「マイルドヤンキー」「プア充」が示した問い
低所得=不幸、という単純な図式に疑問を投げかけた概念がある。
「マイルドヤンキー」「プア充」という属性分析も生まれた。前者は博報堂のマーケティングアナリスト・原田曜平氏が提唱したもので、低所得だが地元の友人や家族との強い連帯をベースとして比較的QOLが充実している若者層のこと。原田氏は彼らが新たなる消費の中心となる待望論を投げかけた。後者の「プア充」は宗教学者の島田裕巳氏が提唱したもので、年収が300万でも所得を上げるために大きな時間を費やす人生よりQOLが高いとする問いかけだ。
引用:『最貧困女子』鈴木大介著
ここで重要なのは、「収入の多寡」よりも人とのつながりや生活の実感が幸福度を左右するという視点だ。
貧困に陥る人に共通する「三つの無縁」
鈴木大介は、貧困を単なる経済問題として扱わない。
人は低所得に加えて「三つの無縁」「三つの障害」から貧困に陥ると考えている。
三つの無縁とは、「家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁」だ。
引用:『最貧困女子』鈴木大介著
この「無縁」は、自己責任ではなく構造的に生まれる孤立である点が重要だ。
「貧乏」と「貧困」はまったく違う
本書の中でも、最も核心を突く一節がこれだ。
年越し派遣村などを率いた湯浅誠さんが「貧困と貧乏は違う」と発言していたことがある。貧乏とは、単に低所得であること。低所得であっても、家族や地域との関係性が良好で、助け合いつつワイワイとやっていれば、決して不幸せではない。一方で貧困とは、低所得は当然のこととして、家族・地域・友人などあらゆる人間関係を失い、もう一歩も踏み出せないほど精神的に困窮している状態。
引用:『最貧困女子』鈴木大介著
これは、「努力すれば抜け出せる」という物語への、静かな反論でもある。
見えない人は、助けられない
支援制度があっても、そこに辿り着けない人がいる。
助けてくださいと言える人と言えない人、助けたくなるような見た目の人とそうでない人、抱えている痛みは同じでも、後者の痛みは放置される。これが、最大の残酷だと僕は思う。
引用:『最貧困女子』鈴木大介著
声を上げられないこと自体が、すでに「貧困の症状」なのだ。
これは誰にとっても他人事ではない
『最貧困女子』が描くのは、特別な誰かの物語ではない。
人との縁、制度との接点、そのどれかが切れた瞬間、誰もが足を踏み入れうる現実である。
貧困を「自己責任」という言葉で片付けてしまう前に、
この本が突きつける問いを、私たちは真正面から受け止める必要がある。
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