「やりがいのある仕事」という幻想から学ぶ、自分基準で生きるための知恵

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現代社会では「仕事にやりがいを持つべきだ」「仕事を通して成長しよう」というメッセージが溢れています。しかし、そうした社会の風潮にどこか息苦しさを感じている人も少なくないのではないでしょうか。

作家の森博嗣氏による著書『「やりがいのある仕事」という幻想』は、そうした世間の「常識」とされる精神論を鮮やかに解きほぐし、私たちが他人の目から解放されて自分らしく生きるためのヒントを提示してくれます。本書のハイライトを通じて、仕事や人生の本質を見つめ直してみましょう。

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1. 仕事と人間の本質を切り離す

現代の日本では、初対面の相手に対して「お仕事は何をされているのですか?」と尋ねることが定石となっています。しかし著者は、職業によって人間の価値を測るような風潮に一石を投じています。

そういった理屈はともかく、僕は、働くという行為が、そんなに「偉い」ことだとは考えていない。「働きたくなかったら、べつに働かなくてもいいんじゃないか」というのが僕の基本的な立場である。また、働いていない人を、見下げることもないし、可哀相だとも思わないし、逆にいえば、仕事の立場がどんなに偉くても、それは人間として尊敬できるというのとは別のファクタだ、と考えている。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

そもそも、職業に 貴賤 はない。「偉い仕事」というのは、つまりは給料が高いとか、能力や人気で選ばれた者だけが就けるとか、そういった「ポスト」を示すようだけれど、その偉さは、たいていは賃金によって既にペイされているはずだ。つまり、そういう「偉そうな仕事」をしたら、その分の高給を得ているわけで、それでその偉さは差し引かれているはずなのだ。もし、賃金は一切いらない、というのなら本当に偉いと思うけれど、金をもらっているなら、それでいいじゃないですか、と僕は考えてしまう。  たとえば、国を動かす凄い仕事をしている、といっても、それだけの金をもらっているのなら、それくらいしても当たり前では、と考える。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

どれほど大きな仕事、社会的に「偉い」とされる仕事をしていても、それは高い賃金という形で相応の対価を受け取っているに過ぎません。仕事の有無や役職は、人間の優劣とは一切関係がないのです。

子育てから見る「職業」の捉え方

著者は自身の子供の育て方と、現在の親子関係を通じても、仕事が人間の本質ではないことを語っています。

僕は、二人の子供を育てた。既に二人とも三十歳近い。小さいときには、もの凄く厳しく育てたつもりだ。殴りこそしなかったが、テレビも見せず、悪いことをしたら、食事を与えなかった。おもちゃも滅多に買わなかった。小学生になったとき、勉強をすることの意味を教えた。その後は、通信簿も見ず、まったくノータッチだったが、二人とも第一志望の大学に合格し、その後社会人になった。成人したあとは、もうなにも言わない。相談を受ければ、「好きにしなさい」と答えることにしているし、お金が欲しいと言ってくれば与えただろう(言ってきたことはないが)。そして、何の仕事をしているのかもよく知らない。彼らが何をしていようと、どんな生活をしていようと、生きているならば、自分の子供であるから嬉しい。仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい、人間の本質ではない。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

子供がどんな職業に就いているかさえよく知らないというスタンスは一見冷淡に思えるかもしれませんが、それは「生きているだけで嬉しい」という究極の肯定の裏返しです。「どのような仕事をしているか」は、今日着ている服と同じくらい表面的な記号に過ぎないのです。

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2. 「やりがい」という精神論の罠

世間でよく耳にする「仕事が楽しい」「やりがいがある」という言葉の正体について、本書では冷徹な分析がなされています。

ただ、「仕事は 辛いもの」という常識があるからこそ自慢になるわけだ。もう少し詳しく分析すると、仕事の中に楽しみを見つけている、というだけのことで、仕事が全面的にすべて楽しいという意味ではないはずだ(なにしろ、休日には仕事を休んでいるのだから)。また、本人が自己暗示にかけて、「これは楽しいことなのだ」と自分を 騙している場合もときどき見受けられる。仕事が楽しいと語っていた人が、次に会ったらその仕事を辞めていたというケースが多い。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

巨大な橋の建設に関わった人は、大根を毎年収穫する人よりも偉いわけではない。そういうものに「未来」や「やりがい」があると感じさせるのは、明らかに言葉だけのイメージで錯覚を誘っている。ようするに「自慢できる仕事」みたいな他者の目を気にした浅ましさにすぎない。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

他者からどう見られるか、社会的に見栄えが良いかという「自慢」を「やりがい」と言い換えているケースは非常に多いものです。さらに、こうした精神論を若者に押し付けてきたツケが、現在の日本社会の低迷に繋がっているとも指摘しています。

また、「そんなことで、日本はどうなる?」なんて、大局を見ているような振りをすることもあるけれど、そもそも日本はどうなるのか誰にもわからない。この頃は、どんどん抜かれてじり貧になっている。でも、今の若者の責任ではない。どちらかというと、「やりがいを持て」「仕事にかけろ」と言ってきた年寄りたちの読みが甘くて、今の日本の不況、そして企業の低迷があるのではないか。つまり、やりがいとか、気持ちとか、そんな精神論で仕事を引っ張ろうとしたツケが、今まさに来ているともいえる。若者のせいにしてはいけない。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

 

精神論や熱意だけで押し切ろうとするのではなく、客観的な戦略や仕組みの欠如が招いた結果を、若者の「やりがいのなさ」のせいにしてはならないという視点は、救われるビジネスパーソンも多いはずです。

今後の社会の予測と教育の課題

しかし、社会は少しずつ変化していくと著者は予測しています。また、個人の将来性を狭めてしまう現在のシステムについても苦言を呈しています。

今後の社会というのは、その人の職業が何であっても、普段の生活では無理に 詮索 しないようになるだろう。そうなれば、だんだん仕事で人を見るという「習慣」もなくなっていくはずだ。完全に消えるには時間がかかるかもしれないけれど。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

大学を受けるときに文系を選択した人は、なかなか「もの作り」の仕事に就けない。べつに数学や物理がそんなに得意ではなくても、いわゆる理系の仕事のほとんどは誰でもできるものだ。それが、たため高校生のときの得意、不得意で将来性を狭めてしまうのだから、今の日本の教育システムは、非常に問題だと僕は感じる。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

仕事で人を判断する習慣が薄れ、教育の歪みによる選択肢の制限が解消されれば、よりフラットで生きやすい社会が訪れるかもしれません。

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3. 他人に流されず「自分を幸せにする」方法

では、私たちは世間のイメージや精神論に流されず、どのようにして自分の価値を見出していけば良いのでしょうか。その答えは「徹底的な自己評価」にあります。

自分がどれだけ納得できるか、自分で自分をどこまで幸せにできるか、ということが、その人の価値だ。その価値というのは、自分で評価すれば良い。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

大人になったのだから、自分のことは自分で褒めよう。自分で褒めるためには、何が自分にとって価値のあることなのかを、まず考えなくてはならないだろう。それが、流されないための唯一の方法だ。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

他者から褒められることを期待するのではなく、自分にとって何が本当に価値があるのかを自問自答し、自分で自分を褒める。これこそが、周囲に振り回されないための頑丈な軸となります。

自分を豊かにする「投資」としての勉強

自分軸を育てるために、著者は仕事とは無関係な「勉強」を継続することを強く推奨しています。

勉強に身を置く時間というのが、人間にとって最も価値がある投資だと思う。これは、たとえ就職してからも忘れてはいけない。自分の時間のうちある割合は、いつも勉強しよう。本を読むことが最も一般的な勉強だし、またそれ以外にも、新しいものに興味を向けて、なにか自分にとって役に立つものはないか、と探すこと。現在の仕事と無関係であっても良い。今すぐに役に立たなくても良い。なんとなく、今まで知らなかったこと、知っていても時間がなくて我慢していたこと、そういうことを少しずつ自分の中に取り入れる。これが「投資」である。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

 

目標と成功の定義

また、単に世間的な「成功」を追い求める前に、自分なりの定義を持つことが重要です。著者は自身が小説家として得た莫大な富を振り返りつつ、本質的な視点を述べています。

僕は四十歳の手前で小説家になったのだが、予想外にこれが儲かった。「とんでもなく」といっても良い額だった。国家公務員の三十倍くらいの年収が十年以上も続いた。しかし、もちろんこんな幸運は滅多にあるものではない。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

人それぞれに生き方が違う。自分の道というものがあるはずだ。道というからには、その先に目的地がある。目標のようなものだ。まずは、それをよく考えて、自分にとっての目標を持つことだ。 「成功したい」と考えるまえに、「自分にとってどうなることが成功なのか」を見極める方が重要である。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

お金や名声といった分かりやすい成功の形に飛びつく前に、「自分にとっての成功とは何か」を見極めなければ、いくら環境が恵まれても満たされることはありません。

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4. 世間の評価と本質のズレを見抜く

世の中でマジョリティ(多数派)が支持しているものや、メディアが大きく報じているものが、必ずしも正解や真のトレンドであるとは限りません。

やはり二十年くらいまえに、アップルという企業は凄いと思った。しかし、当時はそんなことを言うのは超マイナな人間だけで、みんな「アップルなんか風前の 灯火 じゃないか」「使っているのは、オタクなファンだけ」「やっぱりパソコンはNECだよ」と豪語していた。近いところでは、iPhoneが出たとき、僕はすぐに買ったのだけれど、そのとき周囲では「あのタッチパネルは駄目だよ、日本人は指でキィを押すのが好きなんです」なんて否定された。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

ガンダムなんてオタクものが、既に長くメジャなおもちゃ会社を支える稼ぎ頭だったりするし、日本で一番若者を大勢集めるイベントは、ロックのライブでもない、スポーツでもない、もう何十年も続いている同人誌即売会だ。テレビや新聞で多く報道されているものが、世間で人気を集めているのではない。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

世間の「声の大きい意見」や「常識的な予測」は、往々にして本質を見誤ります。だからこそ、表面的なニュースに惑わされない視点を持つ必要があります。それは失業率といった社会統計の見方にすら言及されます。

日本は失業率が高くなった。たぶん、韓国や中国の人が、そんなニュースを見て、「よし、日本ももう終わりだ、これからは自分たちの時代だ」と感じているのではないか。  失業率というのは、国が豊かになって、失業しても食べていけるから、高くなるという側面がある数字だ。選り好みして職に就かなくても「失業」だからである。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

物事の数字や現象の裏側にあるロジックを客観的に捉えることが、流されないための知性と言えます。

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5. 日常の悩みや仕事に活かす具体的な視点

本書には、私たちが日々直面する人間関係や、実務におけるスタンスについての極めて具体的なアドバイスも収められています。

人間関係の悩みに対する処方箋

多くの人が抱える悩みのほとんどは「人間関係」です。著者はその解決の鍵を次のように提示します。

何故、辞めたり、部署を換わりたいと考えるのか、その理由はほとんど一つである。いわゆる「人間関係」という問題だ。これ以外に、人間が抱える問題はないといっても良いくらいである。僕は、それ以外の問題しか抱えない人間なので、ずっと不思議だったのだが、世の中の人というのは、とにかく人間関係以外では悩まないといっても過言ではない、と少し誇張しておこう。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

個人的な悩みの解決のキィになるのは、一般論、客観論、そして抽象論である。何故なら、具体的なことは、本人がもう充分に考え尽くしているからだ。具体的に解決が難しいからこそ問題になるのである。それに対して、他者からどんなに言葉を飾って励まされても、得られるものは事実上ない。そこに気づいてほしい。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

具体的な状況に囚われているときは、あえて一歩引いて「一般論」や「抽象論」の視点から眺めてみる。感情的な励ましよりも、冷徹とも言える客観性こそが、泥沼化した人間関係の悩みを解きほぐすブレイクスルーになります。

仕事の本質は「コンテンツ(内容)」にある

ビジネスにおいて、どのような態度で仕事に向き合うべきかについても、明確な指針が示されています。

この「スタイルに拘る」というのが一番下のレベルで、その次が、「手法に拘る」というものだ。これも、まだ本質ではない。最も大事なことは、手法にもスタイルにも拘らず臨機応変に選択できる「自由さ」であり、拘るべきは、結果のコンテンツである。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

これは、仕事でも同じで、「言っていることは正しいかもしれないけれど、あの言い方が気に入らない」なんて怒る人がいるけれど、それは、そう感じる人の方も悪い、と僕は思う。言い方ではなく、言っている内容、つまりメディアではなくコンテンツをしっかりと受け止めることが優先されるべきだ。それが仕事の本質ではないか。引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

本当に素晴らしい仕事というのは、最初からコンスタントに作業を進め、余裕を持って終わる、そういう「手応えのない」手順で完成されるものである。この方が仕上がりが良い、綺麗な仕事になる。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

感情的な「言い方」や表面的な「スタイル」に拘るのではなく、生み出される「結果(コンテンツ)」に集中すること。そして、ドラマチックな徹夜や苦労話とは無縁の、淡々と余裕を持って終わらせる「手応えのない綺麗な仕事」こそがプロフェッショナルであるという定義は、日々の業務の姿勢を正してくれます。

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6. 本当の楽しみは「秘密」の中に

最後に、著者が大切にしている「楽しさ」や「行動」へのスタンスをご紹介します。

最も大事なことは、人知れず、こっそりと自分で始めることである。人に自慢できたり、周りから褒められたりするものではない。自分のためにするものなのだから。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

ときどき、旅行をすることもある。長いときは半年近く一人でヨーロッパを巡ったこともある。このときも、自分の趣味のための旅行で、いろいろ見たり買ったりした。でも、写真は一枚も撮らなかったし、帰ってきても誰にもどんなふうだったか話していない。人に話さないと楽しめないというのは、本当の楽しみでない、と僕は思っている。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

SNSで誰かにシェアしたり、他人に話して共感を得たりしなければ楽しめないものは、本当の楽しみではないという指摘は、現代を生きる私たちに深く突き刺さります。自分だけの秘密として噛み締める喜びこそが、最も贅沢な時間なのです。

また、「〜になりたい」と言葉で引き延ばすくらいなら、今すぐ始めるべきだという押井守監督とのエピソードも紹介されています。

映画監督の 押井守 さんと話しているとき、彼は、「どうしたら、映画監督になれますかって、きいてくる奴がいるけれど、本当になりたかったら、もう映画を作っているはずなんだよね」と言った。僕もそのとおりだと思う。小説家になりたかったら、もう小説が十作くらい書けているはずだ。だから、どうしたら良いのかという答は、「それを出版社に投稿してみたら」である。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

最後に、著者自身が世間から「冷たい」と評されることに対する、非常に腑に落ちる洞察を引用します。

それから、「冷たい」というのは、まあ、そのとおりかもしれない。どうしてかというと、温かいことに興味がないからだ。温かい言葉とか、温かい態度とか、そういうものがはっきりいって嫌いである。面倒くさいと思う。「ぬくもり」なんて言葉も 胡散臭い。そもそも「温かさ」というのは、人にかけるものではなくて、自分で感じるものだろう。たとえば、子供が無邪気に遊んでいたり、犬が走り回っている様子を見ると、心が温まる。しかし、子供も犬も、温かい態度を取っているわけではない。見ている者が、自分で自分の心を温めるのだ。したがって、僕が冷たいと感じる人は、自分の心が冷たいということに気づいただけである。

引用:『「やりがいのある仕事」という幻想』森 博嗣著

誰かに温めてもらうのを待つのではなく、身の回りの現象から自分で自分の心を温める。これこそが、自立した大人の生き方ではないでしょうか。

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まとめ

森博嗣氏の言葉は、一見するとどれも合理的で冷徹に思えるかもしれません。しかしその根底にあるのは、「他人の作った価値観や、やりがいという幻想に振り回されて、自分の人生を消耗させてはいけない」という、読者への強いエールであるとも受け取れます。

仕事に過剰な意味を求めるのをやめ、淡々と結果を出し、自分のためにこっそりと何かを学び、楽しむ。そんな「自分基準」の生き方を取り入れてみてはいかがでしょうか。

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