😟【無理ゲー社会】「公平」と「平等」は両立しない?現代社会の「つながり」と「格差」のリアル

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現代社会は、しばしば「無理ゲー」と称されます。それは、誰もがスタートラインに立てる「公平」な社会を目指したはずなのに、その結果として、これまでにないほど厳しい「不平等」と「格差」が生まれているからです。

橘玲氏の著書『無理ゲー社会』は、この矛盾に満ちた現代社会のメカニズムを鋭く分析しています。本書で語られる、「公平」と「平等」のジレンマ、希薄になる人間関係、そして meritocracy(能力主義)がもたらす残酷な現実について、ハイライトから読み解いていきましょう。

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🏃‍♀️「公平」と「平等」の原理的な不両立

 

私たちは「公平な社会」を目指すべきだと考えがちです。しかし、公平さを追求することは、同時に不平等さを生み出すことを意味します。

「公平」とは、子どもたちが全員同じスタートラインに立ち、同時に走り始めることだ。しかし足の速さにはちがいがあるので、順位がついて結果は「平等」にはならない。  それに対して、足の遅い子どもを前から、速い子どもを後ろからスタートさせて全員が同時にゴールすれば結果は「平等」になるが、「公平」ではなくなる。  ここからわかるように、能力(足の速さ)に差がある場合、「公平」と「平等」は原理的に両立しない。

引用:『無理ゲー社会』橘玲著

スタートラインを揃える「公平」は、個人の能力差を反映した「不平等な結果」を容認します。一方で、結果を揃える「平等」は、スタートラインを変える「不公平な手段」を用います。この指摘は、現代の格差論議の根底にある、根深いジレンマを浮き彫りにします。


 

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💔「つながり」の縮小と「性愛」・「貨幣」空間の拡大

 

現代社会では、人々が持つ「つながり」の範囲が小さくなっていると指摘されています。これは、アメリカの社会調査からも裏付けられています。

 社会調査では、ネームジェネレーターという手法でひとびとの「つながり」を計測している。一般的なのは「あなたが重要なことを話したり、悩みを相談するひと」を挙げてもらう手法で、アメリカでは1985年から2004年の 20 年間で「重要なことを話す」親友の数が平均して3人から2人に減少し、ゼロという回答が8% から 23% に上昇した。アメリカ人のほぼ4人に1人は親友がいない

引用:『無理ゲー社会』橘玲著

この「つながり」の縮小は、人々の意識にも影響を与えています。「政治=他者との関係」が占める割合が小さくなることで、そのぶん「愛情空間」が拡大し、家族や恋人との関係、つまり性愛がより重要になります。最近の小説やアニメが「半径10メートル以内の世界」を描くものが多いのは、こうした人々の関心領域の変化に対応しているのかもしれません。

人生において政治=他者との関係が占める割合が小さくなれば、そのぶんだけ愛情空間が拡大し、家族や恋人との関係、すなわち性愛が重要なものとして意識されるようになる。最近の小説やマンガ・アニメは半径 10 メートル(あるいは5メートル)以内の世界をひたすら描くものばかりだが、これはひとびとの「つながり」の範囲が小さくなっていることに対応しているのではないか。

引用:『無理ゲー社会』橘玲著

また、共同体の「濃密なつき合い」が減るにつれ、代わりに「貨幣空間」が拡大します。これまで「友情」で賄われていたようなことも、心理的コストを嫌い、「金銭的コスト」で代替するようになっているのです。

 それと同時に、政治(友情)空間が縮小すれば、その外側にある貨幣空間が拡大するはずだ。子どもの面倒をみてもらうことからペットの世話まで、これまで共同体の濃密なつながりに依存していたことを、わたしたちはどんどん貨幣経済で代替するようになってきた。「濃いつき合い」は大きな心理的コストをともなうので、それを金銭的コストで済ませようとするのだ。

引用:『無理ゲー社会』橘玲著

これは、近年増加している、見知らぬ人同士がフットサルコートで集まってプレイし、ゲームが終われば名前すら知らずに解散するという現象にも現れています。彼らにとって「いちばん嫌われるのは友だちと つるんで やってくること」なのです。


 

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🏆 Meritocracy(能力主義)の残酷な真実

 

現代社会の基盤となりつつあるmeritocracy(能力主義)は、建前上は公平ですが、その結果は残酷な不平等を生み出します。

 メリトクラシーは貴族政(アリストクラシー)より公平だが、だからこそより不平等で残酷だとヤングは考えた。階級社会では、自分が成功できない理由を社会制度の責任にできる。だがメリトクラシーでは、すべてのひとに公平に機会が開かれているのだから、「自分が本当に劣等であるという理由で、自分の地位が低いのだと認めなくてはならない」のだ。

引用:『無理ゲー社会』橘玲著

身分制度のない meritocracy 社会では、成功は「才能と努力」の証しと見なされ、失敗は「才能や努力が足りない」個人の責任となります。ハーバード大学のサンデル教授も、この「出世のレトリック」を批判しています。

サンデルは、「ある才能を持っていること(あるいは持っていないこと)は、本当にわれわれ自身の手柄(あるいは落ち度)だろうか」「自分の才能のおかげで成功を収める人びとが、同じように努力していながら、市場がたまたま高く評価してくれる才能に恵まれていない人びとよりも多くの報酬を受けるに値するのはなぜだろうか」と問う。「富は才能と努力のしるしであり、貧困は怠惰のしるしである」とする道徳的な世界では、エリートは自分の成功を神の恩寵(当然の報酬)と見なし、低学歴の白人労働者階級を「屈辱の政治」に追いやることになってしまうというのだ。

引用:『無理ゲー社会』橘玲著

さらに、meritocracyの根幹である「知能」だけでなく、「努力」などの性格特性もまた、遺伝の影響を強く受けているという行動遺伝学の原則が、この能力主義をさらに複雑なものにしています。

 マイケル・ヤングがメリットを「知能+努力」と定義したように、成功にとって努力などの性格特性が重要なのは間違いない。だがここで無視されているのは行動遺伝学の第1原則で、知能だけでなく努力にも遺伝の影響がある。図表4でも、遺伝率は「やる気」が 57%、「集中力」が 44% で、努力できるかどうかのおよそ半分は遺伝で決まる。

引用:『無理ゲー社会』橘玲著

能力主義の下で成功できない人々は、自己責任の重圧と「屈辱の政治」に苦しんでいます。アメリカで低学歴の白人労働者階級を中心に広がる「絶望死」(ドラッグ、アルコール、自殺)のパンデミックは、この無理ゲー社会の残酷な現実を象徴していると言えるでしょう。

2017年には 15 万8000人のアメリカ人が絶望死した。これは「ボーイング737MAX機が毎日3機墜落して、乗員乗客が全員死亡するのと同じ数字」だ。

引用:『無理ゲー社会』橘玲著


 

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💡 この「無理ゲー」を生き抜くために

 

本書は、社会が抱える根深い矛盾と、それに苦しむ人々の姿を、データと事例に基づいて描き出しています。能力主義の光と影、人間関係の変容、そして未来の社会保障のあり方まで、多岐にわたるテーマが凝縮されています。

この「無理ゲー」とも言える時代を生き抜くために、私たちは社会のルールや現実を正確に理解する必要があるでしょう。

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