白取春彦氏の著書『完全版 仏教「超」入門』は、仏教に対する私たちの固定観念を覆し、その本質を現代の視点から紐解いてくれる一冊です。本書で語られるブッダの教えは、決して難解なものではなく、私たちが日々直面する苦悩や、人間関係、生き方そのものに対する深い洞察に満ちています。今回は、本書のハイライト部分から、特に心に響いた教えをいくつかご紹介します。
仏教の根源にある思想
仏教は輪廻転生を否定する?
私たちが抱く仏教のイメージと、実際の仏教は異なる点が多いことに驚かされます。特に、以下の指摘は目から鱗が落ちるような内容です。
仏教は輪廻や生まれ変わりなどを否定するから仏教なのです。輪廻や生まれ変わりを信じるのは古代バラモン教から生まれたヒンズー教です。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
この一文は、仏教が単なる宗教的な教えではなく、より現実的な視点に立っていることを示唆しています。輪廻や生まれ変わりといった概念は、むしろヒンドゥー教にルーツがあるという事実は、仏教の本質を理解する上で非常に重要です。
「仏」とは何か?
「仏」という言葉に対する一般的なイメージも、本書によって刷新されます。
「仏」は基本的に「悟りを得た人」を意味する言葉にすぎない。 であるならば、悟りを得た人は当然ながら仏と呼ばれてしかるべきだろう。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
「仏」とは、特別な存在ではなく、悟りを開いた人のことを指すというシンプルな定義は、私たちに仏教をより身近なものとして感じさせてくれます。誰もが「仏」になり得る可能性を秘めている、と捉えることもできるでしょう。
仏教の「知」の側面
仏教の聖典「三蔵」とは
仏教の教えがどのように体系化されてきたのかについても、本書はわかりやすく解説しています。
やがて、これら『経蔵』と『律蔵』に、さらに『論蔵』が加わる。これはブッダの教義に関する論書の集成である。 この三つがいわゆる「三蔵」と呼ばれるものである。物語『西遊記』に出てくるので有名な三蔵法師の三蔵である。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
「三蔵」という言葉は、私たちの日常にも意外な形で浸透していることがわかります。特に『西遊記』の三蔵法師の「三蔵」が、仏教の重要な聖典の総称であるという解説は、新たな発見となる人も多いのではないでしょうか。
ユダヤ教とキリスト教の聖典との比較
他の宗教の聖典との比較も興味深い点です。
ユダヤ教では『聖書』を聖典としているが、その周囲に注釈や解釈などが加わって、現在ではかなり分厚い書物になってしまっている。 キリスト教は逆である。文書の真偽を長い時間をかけて 吟味し、偽書をそぎ落とし、これこそ真正だと認められるものを『聖書』としている。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
この比較は、宗教における文書の扱い方の違いを明確にし、それぞれの宗教がどのように教義を確立してきたかの一端を教えてくれます。
四苦八苦と「縁起」「空」の思想
仏教の根幹をなす思想についても、平易な言葉で説明されています。
「生・老・病・死」の苦しみをまとめて、「 四苦八苦」と呼ぶ。ご存知のように、この「四苦八苦」は日本語の成語になっている。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
すべてが、 縁りて起こることだという。つまり、互いに関係しあって相手を支えている。これを「 縁起」と呼ぶ。 ブッダの悟りの中身の知的理解はこれである。 悟りとは、神秘めいた超常体験のことではない。いっさいを見通すことである。ありのままに見る眼を持つことである。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
「空」とは、他との関係があってこそ成り立っている状態を指す言葉だ。 この世にあるどんなものも他との関係なしには決してここにありえない。だから、いっさいが「空」だと仏教ではいう。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
「四苦八苦」は日本語として定着していますが、その意味を改めて認識することで、ブッダが説いた苦しみの本質を理解することができます。そして、「縁起」や「空」の思想は、すべてが互いに関係し合って成り立っているという、仏教ならではの深い世界観を示しています。これらは、単なる哲学的な概念ではなく、現実世界をありのままに見つめ、理解するための視点を与えてくれます。
ブッダの教えに見る現代社会への示唆
欲求と欲望の違い
現代社会に生きる私たちにとって、欲求と欲望の違いを明確にすることは非常に重要です。
人間の三大欲望は「食欲・睡眠欲・性欲」である、と堂々と書いた本があった。そんなことを書いたり言ったりする人は、「欲望」と「欲求」の違いも知らないのだろう。 「欲求」とは、自己の生存に必要なものだ。食事と睡眠は生存に必要である。しかし、「性欲」は生存に必要ではない。 つまり、「欲求」と「欲望」は同じではない。「欲望」には選択という条件が必ず加わる。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
この指摘は、私たちが無意識に使っている言葉の曖昧さを浮き彫りにし、自身の欲求と欲望を冷静に見つめ直すきっかけを与えてくれます。「欲望」には「選択」が伴うという考え方は、現代社会における消費行動やSNSにおける承認欲求などにも通じるものがあり、非常に示唆に富んでいます。
「マニア」の語源
現代社会でよく使われる「マニア」という言葉の語源にも、古代ギリシアの知恵が隠されていました。
自己の欲望が過熱しているのを自覚している人を「マニア」という。だから、マニアは特定の物を収集し続けて飽きることがない。 その様子は、 傍から見れば狂気そのものである。 紀元前五世紀のギリシア人は、そのことをよく知っていた。だから、ギリシア語で「狂気」のことを「マニア」というのである。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
「マニア」が「狂気」を意味するという事実は、ある特定の対象への過度な執着が、時に周囲から見て異様な状態に映ることを示しています。これは、現代の「推し活」や特定の趣味への没頭など、多岐にわたる現象を考える上でも興味深い視点を提供します。
怒りがもたらす影響
怒りという感情がもたらす影響について、ブッダの教えは医学的見地からも裏付けられるという点が印象的です。
怒れば事柄が 紛糾 するどころか、怒りは自分の心臓に多大な負担をかける。医学的にも心臓発作を多発するとされる。 怒るたびにみずからの寿命を縮めているわけだ。それが怒ることの代償だろうか。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
怒りが心身に与える悪影響は、現代の医学でも証明されています。怒りの感情に囚われることが、いかに自分自身を苦しめることになるかを、ブッダは何千年も前から説いていたのです。
自己中心的な愛の否定
ブッダは、真の愛の姿についても深く考察しています。
人間を尊重せず、自分の所有物のように扱うことがいかに本物の愛を遠ざけているかということは、フランスの哲学者マルセルも主張していることである。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
心を配るのである。丁重に接する。相手に親切にする。 べたべたするだけが愛ではない。 爽やかな愛もある。相手を自分のものと思いこむことのない開放的な愛。ちゃんと尊敬を含んだ愛。 ブッダは、そういう人間関係を目指していたと思う。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
相手を自分の所有物のように扱うのではなく、尊重し、心を配り、爽やかで開放的な愛を目指すというブッダの教えは、現代の人間関係にも通じる普遍的な真理です。
善い言葉の重要性
言葉の力についても、ブッダは深く認識していました。
言葉と行為が人間を決定づけているから、「 善いことばを語れ」というブッダの教えは、仏教を超えて人生上の真理といって過言ではないだろう。 最上の善いことばを語れ、これが第一である。正しい 理 を語れ、理に反することを語るな、これが第二である。好ましいことばを語れ、好ましからぬことばを語るな、これが第三である。真実を語れ、 偽りを語るな、これが第四である。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
言葉が人間を決定づけるというブッダの教えは、現代のコミュニケーションにおいても非常に重要です。建設的で真実を語る言葉を選ぶことの大切さを改めて認識させられます。
現代社会と仏教のギャップ
本書では、現代の僧侶たちに対する厳しい指摘もなされています。
現代でもそうである。僧侶たちは、仏教がどういうものであるかを積極的に教える姿勢などもちあわせず、金になる仏教行事のときにだけ顔を出して形式的に経を読み、 布施 を 懐 に入れ、いそいそと次の檀家の法事に向かうだけである。
引用:『完全版 仏教「超」入門』 白取春彦著
この指摘は、一部の現状を捉えているのかもしれません。しかし、だからこそ、私たちは自ら仏教の本質に触れ、その教えを現代に活かしていく必要があるのではないでしょうか。
『完全版 仏教「超」入門』は、仏教に対する私たちの先入観を打ち破り、その奥深い知恵を現代に引き寄せてくれる一冊です。今回ご紹介した以外にも、人生の苦悩、死生観、時間との向き合い方など、示唆に富んだ教えが満載です。ブッダの教えは、決して遠い世界のものではなく、私たちの日常生活に活かせる普遍的な真理であると気づかされます。ぜひ本書を手に取り、ご自身の生き方を見つめ直すきっかけにしてみてはいかがでしょうか。
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