スピノザという「自由」への招待状|國分功一郎『はじめてのスピノザ』に学ぶ生きる智慧

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「哲学」と聞くと、どこか難解で浮世離れしたイメージを持つかもしれません。しかし、國分功一郎氏の著書『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』は、そんな先入観を鮮やかに塗り替えてくれます。17世紀の哲学者スピノザが説いたのは、私たちがこの複雑な世界でいかにして「自由」になり、いかにして「喜び」を持って生きていくかという、極めて実践的な知恵でした。今回は、本書のハイライトを通して、自分自身の力を取り戻すためのヒントを探っていきましょう。


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哲学者は「命」を懸けて真理を追う

哲学とは単なる机上の空論ではありません。かつて真理を語ることは、社会や権力と対立する命がけの行為でもありました。

哲学者とは、真理を追究しつつも命を奪われないためにはどうすればよいかと常に警戒を怠らずに思索を続ける人間です。真理の追究は必ずしも社会には受け入れられないし、それどころか権力からは往々にして敵視されるのだということを十分に理解しつつ、その上で真理を追究するのが哲学者なのです。  たとえばフランスの哲学者デカルトは、ガリレイ(一五六四~一六四二) が宗教裁判にかけられたことを知り、本の出版を取りやめたことがありました。何と言っても哲学の出発点であるギリシアのプラトン(前四二七~前三四七) は、師匠のソクラテス(前四七〇~前三九九) を権力によって処刑されています。プラトンの哲学は、真理を追究しながらも師匠ソクラテスのように殺されないためにはどうしたらいいかという問いと切り離すことはできません。スピノザもまた哲学者として、常にそういう警戒心をもって事に臨んでいたのです。

引用:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎著

スピノザが慎重に、しかし妥協なく紡ぎ出した言葉の裏には、生き延びて真理を伝えようとする強い意志が宿っています。

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「道徳」ではなく「倫理」を生きる

私たちはしばしば「~すべき」という道徳に縛られがちです。しかしスピノザは、外部から押し付けられる規範ではなく、自らの足元から立ち上がる「倫理(エチカ)」を重視しました。

つまりエチカとしての倫理の根源には、自分がいまいる場所でどのように住み、どのように生きていくかという問いがあるわけです。  仮に道徳が超越的な価値や判断基準を上から押しつけてくるものだとすれば、倫理というのは、自分がいる場所に根ざして生き方を考えていくことだと言えます。この意味で、人間がどのように生きていくべきかを考えた本のタイトルに、スピノザがこの語を選んだというのはとても興味深いことです。

引用:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎著

「こうあるべきだ」という偏見を捨て、自分がいまいる場所でどう生きるかを考える。それがスピノザ哲学の出発点です。

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私たちの本質は「力」である

スピノザ哲学の最もエキサイティングな概念の一つが「コナトゥス」です。彼は、物の本質を「形」ではなく、存在し続けようとする「力」だと定義しました。

コナトゥスは、個体をいまある状態に維持しようとして働く力のことを指します。医学や生理学で言う恒常性(ホメオスタシス) の原理に非常に近いと言うことができます。 おのおのの物が自己の有〔引用者注:存在〕 に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。(第三部定理七)

引用:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎著

私たちは単なる肉体の「形」ではなく、生きようとする「エネルギーそのもの」である。この視点の転換は、自己肯定感の根拠を大きく変えてくれます。

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自由とは「条件」の中で力を発揮すること

「自由」とは、何にも縛られず好き勝手することではありません。スピノザは、与えられた制約の中でいかに能動的になれるかに自由を見出しました。

自分に与えられている条件のもとで、その条件にしたがって、自分の力をうまく発揮できること。それこそがスピノザの考える自由の状態です。

引用:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎著

自由であるとは能動的になることであり、能動的になるとは自らが原因であるような行為を作り出すことであり、そのような行為とは、自らの力が表現されている行為を言います。ですから、どうすれば自らの力がうまく表現される行為を作り出せるのかが、自由であるために一番大切なことになります。

引用:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎著

自分が自らの行為の「原因」となっているとき、私たちは自由を感じます。誰かに言われたからやるのではなく、自分の内なる力が表現されているかどうかが鍵なのです。

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賢者とは「楽しむ人」のこと

最後に、スピノザが描く理想の人間像を紹介します。それは決して、禁欲的で難しい顔をした人ではありませんでした。

もろもろの物を利用してそれをできる限り楽しむ〔……〕 ことは賢者にふさわしい。たしかに、ほどよくとられた味のよい食物および飲料によって、さらにまた芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは、賢者にふさわしいのである。(第四部定理四五備考) 賢者とは楽しみを知る人、いろいろな物事を楽しめる人のことです。なんとすばらしい賢者観でしょうか。

引用:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』國分功一郎著


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概念を使いこなし、自由になる

哲学を学ぶ目的は、知識を増やすことだけではありません。得た概念を道具のように使い、自分の人生を豊かにすることにあります。

國分氏は、スピノザの概念を「体得し、使いこなすこと」の大切さを説いています。この記事で触れた「コナトゥス」や「能動」という言葉が、皆さんの日常を少しだけ自由にする一助となれば幸いです。

いかがでしたでしょうか。より深くスピノザの世界に触れたい方は、ぜひ本書を手に取ってみてください。きっと、新しい視界が開けるはずです。

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