古代ギリシャの哲学者、ソクラテス。彼は、アテナイ市民を「堕落させた」「神を信じない」という罪で告発され、裁判にかけられました。しかし、その裁判での「弁明」は、彼の哲学の核心と、真の知恵とは何かを私たちに問いかけています。プラトンと納富信留氏による訳書『ソクラテスの弁明』の言葉を辿りながら、その教えを紐解きます。
😮 デルフォイの神託とソクラテスの「無知の知」
ソクラテスの人生は、弟子のカイレフォンがデルフォイのアポロンの神託を伺ったことから決定的な方向づけを受けました。神託は、「ソクラテスよりも知恵ある者はいない」と告げたのです。
私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知ら ない と思っているのだから( 14)。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
ソクラテスは、自分を「知恵ある者であるとは、すこしも意識していない」としながらも、この神託を「謎かけ」として受け取り、アテナイ中の「知恵ある」と思われている人々への「吟味(探求)」を開始します。
この探求を通じて彼が到達したのが、有名な**「無知の知」です。本当は大切なことを知らないのに、地位や評判、技量によって知恵ある者だと思い込んでいる状態(無知、アマティアー)**こそが、最悪のあり方であるとソクラテスは気づきます。
ソクラテスはその人たちに共通の誤解があることを発見する。彼らは、本当は大切なことを知らないにも関わらず、地位や評判や技量によって自分こそ知恵ある者だと思いこんでいる。この「無知」(アマティアー)、つまり「知らないこと」(不知、アグノイア)を 自覚していない 状態こそが、最悪の恥ずべきあり方であった(プラトンは、「知らない」ことをめぐる状態を、「不知/無知」という語で基本的に分けている。この区別をきちんとつけないと、混乱や誤りに陥るので注意)。
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
ソクラテスが持っていたのは、「知らないことを自覚している」という、このほんの小さな点における知恵だったのです。
⚖️ 職人たちの「自惚れ」と真実の代償
ソクラテスが吟味の対象としたのは、政治家、詩人、そして職人たちでした。彼らはそれぞれの専門的な「技」においては優れていましたが、その成功が故に、ある過ちを犯していました。
詩人たちが犯していたあの同じ誤りを、この優れた職人たちも犯しているように、私には思われました。つまり、 技 を見事になしとげるからといって、それぞれの職人は、他のもっとも大切なことについても、自分がもっとも知恵ある者だと 自惚れてしまっていた のです。
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
ソクラテスは、自分が真実を語ることで、多くの人々から憎悪を受けていることを知っていました。彼の「吟味」は、相手の無知を露呈させ、彼らの自惚れを傷つける行為だったからです。
アテナイの皆さん、今まで述べてきたことが 真実 であり、皆さんにすこしも隠し立てせず、ためらうことなくお話ししています。しかしながら私は、まさにこのこと、つまり 真実を話す ということで憎まれているのだということを、よく知っています。そして私が 憎まれている というまさにそのことが、私が真実を語っていることの証拠でもあり、そして、私への中傷とはまさにこういうもので、これが告発の原因であるということの証拠でもあるのです
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
🛡️ 命よりも重い「魂への配慮」
告発者の一人であるメレトスは、ソクラテスに「今にも死ぬかもしれない危険をもたらす、そんな生業に従事していて恥ずかしくはないのかね」と問いかけます。
これに対してソクラテスは、人生で最も大切なのは「魂(プシュケー)への配慮」であり、恥(アイドース)を恐れることだと反論します。
すると、「魂への配慮」を怠るというみっともない状態にありながら、そのことに気づいていない「恥」こそが、最大の醜態ということになる。ソクラテスがなぜメレトスやアニュトスら自分の告発者に厳しい批判を向けるのかも、このことから理解される。実際には若者の魂や徳を少しも配慮していないのに、自分がその庇護者であるかのような、 知ったか振った 態度をとる彼ら告発者の「無知」こそ、もっとも醜い、恥ずべき生き方だからである
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
ソクラテスにとって、真の「恥」とは、徳(アレテー)よりも金銭や地位といった外的なものに価値を置くことです。彼が説いたのは、肉体や物ではなく、思慮が働き真理が求められる「魂」のあり方を最善にすることでした。
死を恐れること自体も、「無知の知」の欠如であるとソクラテスは指摘します。
死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのに ある と思いこむことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。人々はかえって、最大の悪だとよく知っているつもりで恐れているのです。実際、これが、 あの 恥ずべき無知、つまり、知らないものを知っていると思っている状態でなくて、何でしょう。
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
🌅 判決とソクラテスが託したもの
結果として、ソクラテスはわずか30票の僅差で有罪が確定し、死刑判決を受けます。しかし、彼はその判決に対しても冷静で、死後の可能性について語ります。
死んでいる状態は、次の二つのどちらかなのです。無のような状態で、死んでいる者はなんについても何一つ感覚ももっていないか、あるいは、言い伝えにあるように、魂がこの場所から別の場所へ向かう移動や移住であるか、このどちらかなのです。
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
もし死が深い眠り(無感覚)であれば、それは「びっくりするくらい得なもの」であり、もし魂の移住であれば、彼はそこで英雄たちと対話できることを望みます。
そして彼は、アテナイの人々に、自身の息子たちが大人になったときに、自分と同じように「魂への配慮」を怠っているなら、厳しく「吟味」してほしいと託します。
しかしながら、私は彼らに、これだけのことをお願いします。皆さん、私の息子たちが大人になったら、私があなた方を苦しめたその同じことで彼らを苦しめて、仕返しをしてください。もし彼らが、徳よりも前に金銭やその他のものに配慮を向けていると皆さんに思われたなら。またもし、なにも大層な人物ではないのに、そう自分で思っていたら、ちょうど私があなた方にしたように、彼らを非難して、配慮すべきことを配慮していない、まったく価値がないのに、なにか大層な人物だと思っている、と言って仕返しをして欲しいのです。そして、もしあなた方がこのことをして下されば、私自身も息子たちも、あなた方から正しい 報い を受けたことになるでしょう。
引用:『ソクラテスの弁明』 プラトン and 納富 信留著
ソクラテスは、「私は死ぬべく、あなた方は生きるべく」と述べ、私たちのどちらがより善い運命に赴くのかは神のみぞ知ると結びました。彼の「弁明」は、真の知恵とは己の無知を知り、真に価値あるもの、すなわち魂のあり方を常に配慮し続けることであると、私たちに今も静かに語りかけているのです。
ソクラテスの教えを現代にどう活かす?
ソクラテスの残したメッセージは、現代の私たちにとっても示唆に富んでいます。SNSや情報が溢れる時代だからこそ、自分の「知らない」ことを正直に認め、「知っているつもり」になっていないかを吟味する態度が重要です。
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「無知の知」:自分の知識や能力の限界を自覚する。
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「魂への配慮」:目先の利益や評判よりも、自分自身の善いあり方(徳)を追求する。
あなたも、この機会に『ソクラテスの弁明』を手に取り、彼が命をかけて私たちに伝えたかった「立派で美しい人生」について考えてみませんか?
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