「愉快な人生」を送るためのヒント|ブッダに学ぶ生き方

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私たちが「愉快だ」と感じる瞬間は、どんな時でしょうか。美味しいものを食べている時、好きなことをしている時。人によってさまざまですが、もし人生そのものを「愉快」に感じられたら、どんなに素晴らしいでしょう。

今回は、藤田一照氏の著書『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』から、日々の生活をより豊かに、そして愉快に生きるためのヒントをいくつかご紹介します。

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豊かさとは何か?

 

私たちは、より「豊かな生活」を求めて努力しがちです。しかし、著者である藤田氏は、それに警鐘を鳴らします。

「貧しい生活」よりも「豊かな生活」を求めることには何の問題もありません。ただ、生活と人生のどちらにウエイトを置くかが問題です。「豊かな生活」を過剰に追求して「豊かな人生」を犠牲にしていると、精神的には貧しくなってしまいます。深い学びが起こらず、人格の成熟が止まるからです。  たとえば、何をするにしても、事前に損得勘定をする人がいます。「これは何の役に立つか。どんな得があるか」ということばかりを気にして、極力無駄なことはしない。赤ちゃんの学びのおおらかさとは全く違っています。これでは、思いもよらぬ面白いことが起きていても気がつかないでしょう。貧しい学びしかできないのは、もったいないことです。

引用:『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』藤田一照著

「役に立つこと」や「得になること」ばかりを考えていると、人生の豊かな部分を見過ごしてしまう。思いがけない発見や、無駄なことの中にこそ、人生を豊かにする学びや出会いが潜んでいるのかもしれません。


 

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坐禅に見る「しない」という生き方

 

坐禅と聞くと、何かを「頑張って」行う修行のように感じるかもしれません。しかし、実はその真逆の行為だと著者は言います。

坐禅で大切なことは、そういう人間の 作為的努力を手放して、身心を 自ずからなる働きに任せて調和させ、現在に何も足そうともせず引こうともしないことです。おおらかにのびのびと坐ることで、安楽(身は安らかで、心は悦ばしいこと)の世界へと入っていけると言うのです。この安楽こそ、私が愉快と呼んでいるあり方です。

引用:『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』藤田一照著

そして、この「しない」という姿勢を、著者は「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉で表現します。

脚を組み、手を結び、口を閉じ、思いを手放している坐禅は、まさに徹底的な「しない姿」であると言えるでしょう。しないことを全力で行う「ネガティブ・ケイパビリティ」の発揮です。  いま自分の内外で実際に起きていることは、この宇宙でたった一回きりの未知の出来事です。すべての感覚機能を開放して、その無限の豊かさと出会い続けていくのが坐禅修行の内実なのです。

引用:『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』藤田一照著

何かを「しよう」と意図的に努力するのではなく、今この瞬間に起きていることをありのままに受け入れる。その「しない」という姿勢の中に、心が安らぐ「安楽」の世界があるのです。


 

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青虫から蝶へ|人生の転換点

 

ブッダは、人生のネガティブな側面を一切知らされずに育ちました。しかし、城の外に出て初めて人生の苦を知り、出家を決意します。私たちも、人生に疑問を持つことから新しい道が開けるのかもしれません。

青虫は 凡夫(迷っている者)、蝶は仏( 覚者、目覚めた人)を表しています。つまり、私たちは誰でも、蝶、つまり仏になれるのです。ブッダがそれを証明しています。青虫である自分が見ているものとは別の、蝶の景色があることを知るだけでも、生き方が変わってくると思います。

引用:『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』藤田一照著

私たちが今見ている世界は、もしかしたら青虫が見ている世界に過ぎないのかもしれません。しかし、その先に蝶が見るような、まったく別の景色があることを知るだけで、生き方は大きく変わる可能性があります。

自分自身が成長し、変化していくことこそが、本当の意味での「学び」だと著者は説きます。

「学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである」(『学ぶということ』林竹二著 国土社)  学校的な学びとは、知識を得ることと同義です。しかし、林先生の主張では、学ぶことは、自分自身が変わること。つまり、何かを本当に学んだら、「それまでの私」ではなくなって、「新しい私」がそこに生まれるということです。

引用:『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』藤田一照著

人生は常に変化し、学び続けることで、私たちは新しい自分に出会うことができます。


 

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困難を「受けたもう」

 

人生には、ムカつくことや腹が立つこともあります。ブッダもまた、人間としてそうした感情を抱くことがあっただろうと著者は語ります。

悪魔というのは、人間を道から踏み外させる衝動、いわゆる 煩悩 のことです。それを「悪魔」と神話的に表現しているのです。  ブッダといえども、人から非難されれば、ムカッときそうなこともあるでしょう。逆に、人にかしずかれたときは、 傲慢な気持ちが湧きそうになるかもしれません。悪魔が現れるということは、そういう微細な煩悩の動きに「気づける」ということです。

引用:『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』藤田一照著

大切なのは、そうした煩悩の動きに「気づく」こと。そして、どんな出来事も「受けたもう」という姿勢で受け止めることが、人生を愉快に生きるための鍵です。

そのためには、頭が作った「自我」ではなく、生きている本来の「自己」に軸足を置くことが重要です。

『ブッダが教える愉快な生き方 NHK出版 学びのきほん』は、人生の捉え方を根底から変えてくれるようなヒントに満ちています。もし、あなたが今、人生に行き詰まりを感じていたり、もっと「愉快」に生きたいと願っているなら、ぜひこの本を読んでみてはいかがでしょうか。

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