生物たちの命が織りなすドラマは、時に美しく、時に残酷です。稲垣栄洋氏の著書『生き物の死にざま はかない命の物語』は、そんな生物たちの「生」と「死」にまつわる様々なエピソードを通して、私たちに多くの問いかけを投げかけます。本記事では、この本の中から特に心に残った部分を引用しながら、命の尊さと、それに伴う厳しさについて考えていきます。
極限の環境で命をつなぐコウテイペンギン
南極の過酷な環境下で繁殖するコウテイペンギンの子育ては、想像を絶する厳しさです。
凍てつく地面の上に少しでも卵が触れれば、 瞬く間に 凍りついてしまう。そのため、地面に落とすことのないように足の上で抱きかかえると、オスだけにある 抱 卵嚢 というだぶついた腹の皮をかぶせて抱卵する。ただ実際には、卵をメスからオスへと渡すときに、わずかなミスで卵が死んでしまうこともあるというから、切ない。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
卵を落とさないよう細心の注意を払うオスですが、それでも命が失われることもあるという事実に、自然の厳しさを感じます。
厳しいブリザードの中で、命を落としてしまうオスもいるという。過酷な子育てなのだ。 コウテイペンギンのオスはこうして、二か月間も卵を温め続ける。海を離れたのは、その二か月前だから、オスたちは四か月もの間、極寒の中で絶食を続けていることになる。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
コウテイペンギンは、ペンギンの中ではもっとも大きく、体重は四〇キロにもなる。ところが、断食が続いた結果、この季節になると、オスの体重は半分ほどにまで減ってしまうという。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
オスは、絶食状態で2ヶ月間も卵を抱き続け、体重は半分にまで減ってしまいます。ここまでして子孫を残そうとする生命の営みには、ただただ頭が下がります。
絆で結ばれた夫婦の再会
過酷な子育てを終えた夫婦が再会する場面も印象的です。
メスが戻ってくると、オスとメスとが互いに鳴き合ってパートナーを探す。不思議なことに、一万羽ものペンギンの群れの中で、声だけでパートナーを探し合うことができるという。なんという 絆 で結びついた夫婦なのだろう。しかし、必ずパートナーに会えるとは限らない。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
一万羽もの群れの中から声だけでパートナーを見つけ出すという「絆」の強さ。しかし、中には再会できないペンギンもいるという現実が、切なさを一層募らせます。
「かわいい」の裏側にある本能と、親の「壮絶」な愛
人間が「かわいい」と感じる感情には、生物学的な理由があります。
人間の子どもは、おでこが広く、目や鼻が顔の下の方に配置されている。この配置が子どもであることのサインである。そして、大人はこのサインを見ると、脳は「かわいい」と感じるようにプログラミングされている。そのため、猛獣であるライオンの赤ちゃんを見ても、かわいく思えるし、キティちゃんのように、その条件を満たしたキャラクターは、かわいく見える。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
この「かわいい」という感情は、種の保存に繋がる重要な本能であることがわかります。しかし、自然界では、その感情だけでは割り切れない残酷な現実も存在します。
子を守る母グマの「敵」
子育て中の母グマにとって、周りはすべて敵となりうるという記述には衝撃を受けます。
ある。子どもがそばにいる間は、メスは発情しないので、交尾期のオスが子育て中の母グマに出くわすと、あろうことかオスはメスの子どもを殺してしまう。こうすることで、メスの発情をうながそうとするのである。 つまり、子育て中の母グマにとっては、オスは子どもの敵である。母親にとっては、信じられるものは何もない。まわりはすべて敵なのである。 そんなときに、人間と出くわせば、母グマは全力で、自分の身と引き換えにしてでも子どもたちを守ろうとするのである。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
子を殺して発情を促そうとするオスの行動は、人間にとっては理解しがたいものですが、これもまた種の保存のための本能。そして、そんな中で子どもを守ろうとする母グマの姿は、「壮絶」という言葉がまさに当てはまります。
日本では、一年間におよそ三〇〇〇から五〇〇〇頭ものクマが捕殺されている。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
人間との共存の難しさも浮き彫りになります。
冤罪だった恐竜オビラプトルと、母親の歌
恐竜オビラプトルの発見は、長年の誤解を解くものでした。
発見された卵は、オビラプトル自身のものだったのだ。オビラプトルは、卵泥棒ではなく、その巣の主であり、鳥のように卵を温めていた親だったのである。 巣の中で発見されたオビラプトルは、卵を抱いたまま化石になったと考えられる。 その後の研究で、オビラプトルのくちばしは、卵を割るためのものではなく、エサとなる貝を嚙み砕くためのものだったことが判明する。 卵泥棒は、まったくの 冤罪 だったのである。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
長らく「卵泥棒」として知られていたオビラプトルが、実は卵を温める「親」だったという事実は、我々が抱く固定観念がいかに危ういかを教えてくれます。
母の「死」と歌に込められた想い
早逝した歌人、中城ふみ子の歌には、母親の「壮絶」な愛が込められています。
遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受け取れ 『花の原型』 乳がんのために、三一歳の若さで二男一女の子を残して亡くなった 中城 ふみ子(一九二二 ─ 一九五四) の歌である。 母親というものは、壮絶な存在なのだ。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
この歌は、子どもたちに残せるものが「死」しかないという母親の絶望と、それでも子どもたちへの深い愛情を表現しています。「母親というものは、壮絶な存在なのだ」という言葉が、胸に響きます。
百獣の王の過酷な幼少期と、チーターの子育て
ライオンの子どもたちは、百獣の王の幼少期とは裏腹に、非常に高い死亡率に直面しています。
実際にライオンは、大人になることなく死んでしまうものが多い。ライオンの生後一年以内の死亡率は、六〇% を超えると言われている。そのため、一度のお産で二、三頭は産まなければ、個体数を維持できないのだ。 それにしても、百獣の王であるライオンの子どもたちは、どうして死んでしまうのだろうか。 その一番の原因は「飢え」である。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
その主な原因は「飢え」。強者に見えるライオンも、生き残るためには厳しい試練を乗り越えなければなりません。
チーターの効率的な子育て
チーターは、多くの子供を産み、狩りの練習をさせることで、生存率を高めようとします。
チーターは一度に五、六頭の子どもを産む。 肉食獣に食べられる草食獣は、一頭の子どもしか産まない。子どもの死亡率が高いライオンでさえ二、三頭しか産まない。それなのに、チーターは五、六頭産む。それだけチーターは子どもの死亡率が高いということなのだ。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
母親はチーターの子どもと同じくらいの大きさの、小さなガゼルの子どもなどを生きたまま子どもたちに与え、狩りの練習をさせる。 それでも子どもたちは、ガゼルがエサだとわからないから、一緒に遊んでしまったりする。それでは困るから母親はガゼルにとどめを刺して食べ始める。ここまでして初めて、子どもたちはエサを狩るということを覚えていくのである。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
生きた獲物を使って狩りを教えるチーターの母親の姿は、まさに実践的な教育の場。生きるために必要なスキルを、幼い頃から身につけさせているのです。
遠大な旅をする魚たち
身近な魚たちも、想像を超える長い旅をしています。
イワシの群れは、冬頃から春頃にかけて西日本の太平洋岸で産卵する。この卵が黒潮に乗って北上しながら、 稚魚 に成長していく。これがシラスである。そのシラスの群れはさらに北上して夏頃に東北の太平洋岸で成魚になり、秋から冬にかけて南下してくるのである。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
イワシは、黒潮に乗って数千キロもの旅をしながら成長していきます。
ウナギは、日本の川にふつうに見られるが、長年どこで卵を産んでいるのかさえわからなかった。 産卵場所について明らかにされてきたのは、二一世紀になってからのことである。 川魚として知られるウナギであるが、その産卵場所は海である。驚くことに、ウナギの産卵場所は、日本から南へ三〇〇〇キロも離れたマリアナ諸島沖の深海であることがわかったのである。日本最南端の小笠原諸島からさらに二〇〇〇キロも南の地点だ。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
ウナギの産卵場所が、日本から3000キロも離れたマリアナ諸島沖の深海であるという事実は、生命の神秘を感じさせます。
ウナギはいまだ完全養殖が実現していない。 現在、日本で食べられているウナギの九九・七%が養殖されたウナギである。「養殖ウナギ」と言われてはいるが、人間にできるのは、ただ、それだけのことである。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
完全養殖が困難なウナギの現状は、自然の恩恵に感謝し、持続可能な利用を考えるきっかけになります。
戦争が奪う命と、動物たちの犠牲
戦争は、人間の命だけでなく、罪のない動物たちの命も奪います。
毎年、八月になると大阪の 天王寺 動物園では、たくさんの 剝製 が並べられた企画展が開催される。 ライオンの剝製もある。トラの剝製もある。シロクマの剝製もある。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
戦争中の動物園の悲しい物語としては、上野動物園を舞台にした、児童文学作家、 土 家 由 岐 雄 の童話「かわいそうなぞう」が有名だろう。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
これらの記述は、動物園の動物たちが戦争の犠牲になったことを示唆しています。
あるものは、毒薬を飲まされ、もがきながら、苦しみながら死んでいった。 しかし、動物の中には、毒の入ったエサを食べようとしないものも多かった。また、致死量もわからないので、毒に苦しみながらも生きながらえる動物もいた。 それらの動物の処理方法が 絞殺 である。 生きながらえたホッキョクグマやクロヒョウなどの動物たちは、首にロープをかけられ、大勢の大人たちにロープを絞められた。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
土家由岐雄の「かわいそうなぞう」は書く。
しなびきった、からだぢゅうの力をふりしぼって、よろけながらいっしょうけんめいです。 げいとうをすれば、もとのように、えさがもらえると思ったのでしょう。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
大阪天王寺動物園のヒョウは、人工 哺育 で育てられ、飼育員がおりに入っても一緒に遊ぶことができるほどなついていたという。 後に子ども向けに書かれた新聞記事には、ヒョウの飼育員の話が残されている。 「なかなかりこうなやつでした。毒入りの肉を三回食べさせたのですが、すぐ吐き出してしまいました。しかたなく、絞め殺すことになったんです。 私がロープを持ってオリに入りました。いつものように体をなでてやると、喜んでいました。私は心を鬼にしてロープを首にかけたんです」
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
戦争という異常な状況下で、動物たちがどれほど悲惨な最期を迎えたかが生々しく描かれています。そして、動物を愛していたはずの人間が、その命を奪わなければならなかったという事実は、戦争の理不尽さを際立たせます。
猛獣は、生き物を殺して食べるが、戦争はしない。 動物園の動物たちは愛されていた。そして、動物を愛していた人が、動物を殺した。 それが戦争なのである。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
この言葉は、戦争の残酷さと、人間の行動の矛盾を端的に示しています。
命を守るための知恵と、クローンの命
自然界には、命を守るための様々な知恵が存在します。
小さなハチたちには、次の作戦がある。ハチたちは、筋肉を収縮させたり、羽を細かく動かして、体温を上げていく。そして、中にいるオオスズメバチを蒸し殺してしまうのである。 ハチたちが大勢で寄り固まってかたまりを作り、オオスズメバチを殺してしまうこの作戦は「 熱 殺 蜂 球」と呼ばれている。 蜂球の温度は四六度にまで上昇する。オオスズメバチはおよそ四五度の温度で死滅する。一方、小さなハチたちは、四九度近くまで耐えることができる。このわずかな差を利用して、オオスズメバチだけを殺すことができるのである。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
「熱殺蜂球」は、小さなハチたちが協力して、大きなオオスズメバチを倒す驚くべき戦略です。これは、集団の力と知恵がいかに重要であるかを示しています。
クローン技術と命の定義
ソメイヨシノのクローン技術は、命の定義について考えさせます。
花見で人気のソメイヨシノは、こうしてクローンによって増やされた。 それでは、樹齢千年の木から挿し木した若い木は、いったい何歳になるのだろう。
引用:『生き物の死にざま はかない命の物語』稲垣 栄洋著
クローンによって増えた木の年齢をどう考えるのか、という問いは、命の連続性や独自性について、深く考えさせるものです。
まとめ
『生き物の死にざま はかない命の物語』は、コウテイペンギンの過酷な子育てから、クマの親子の壮絶な関係、戦争による動物たちの悲劇、そして自然界の驚くべき生存戦略まで、多種多様な生物たちの「生」と「死」の物語を教えてくれます。
この本を通して、私たちは生命の尊さ、そして自然界の容赦ない厳しさ、さらには人間がいかに自然と向き合うべきかについて、改めて考えさせられます。ぜひ本書を手に取り、生物たちの「はかない命の物語」に触れてみてください。
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