思考の罠:「悩む」と「犬の道」から抜け出す方法
私たちは日々、仕事や研究の中で様々な問題に直面します。しかし、その問題に対してどのように向き合うべきか、深く考えたことはあるでしょうか?多くの人が「考えているつもり」になっているだけで、実は非生産的な「悩み」に時間を費やしているのかもしれません。
本書では、「悩む」ことを「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすることと定義しています。一方で、「考える」とは「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てることと明確に区別しています。
「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること 「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
もし、あなたが10分以上真剣に考えても解決の糸口が見えないのであれば、一度その問題から離れるべきかもしれません。
10 分以上真剣に考えて 埒が明かないのであれば、そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。それはもう悩んでしまっている可能性が高い
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
「犬の道」に陥っていませんか?
さらに、多くの人が陥りがちなのが「犬の道」です。これは、「一心不乱に大量の仕事をして右上に行こうとする」こと、つまり、「労働量によって上にいき、左回りで右上に到達しよう」というアプローチを指します。
ここで絶対にやってはならないのが、「一心不乱に大量の仕事をして右上に行こうとする」ことだ。「労働量によって上にいき、左回りで右上に到達しよう」というこのアプローチを僕は「犬の道」と呼んでいる
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
しかし、著者はこれに対して警鐘を鳴らします。
したがって、何も考えずにがむしゃらに働き続けても、「イシュー度」「解の質」という双方の軸の観点から「バリューのある仕事」まで到達することはまずない。双方の軸が1%程度の成功率なのだから、それが合致する確率は0.01%、つまり1万回に1回程度しかまともな仕事は生まれない、という計算になる 引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
「イシュー度」とは「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」、そして**「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」**を意味します。
「イシュー度」とは「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」、そして「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
「イシューからはじめよ」本質を見抜く思考法
では、どのようにすれば「悩む」ことをやめ、「考える」ことに集中できるのでしょうか?その鍵となるのが「イシューからはじめる」という考え方です。
「イシュー」を特定する
本書では、まず「イシューとは何か」を明確にすることの重要性を繰り返し説いています。漠然としたアイデアでは前に進めません。
漠然としたアイデアしか浮かばない人は、主語と動詞を明確にし、一体自分は何を言おうとしているのかを箇条書きで明確にする「イシューと仮説出し」を日々行うことをお薦めする。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
そして、よいイシューの条件として、「本当に既存の手法、あるいは現在着手し得るアプローチで答えを出せるかどうか」を見極めることが挙げられています。
「よいイシューの条件」の3つめは、イシューだと考えるテーマが「本当に既存の手法、あるいは現在着手し得るアプローチで答えを出せるかどうか」を見極めることだ。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
仮説の重要性
イシューを特定したら、次に重要なのが「仮説」です。
再度「イシューは何だろう」と考えているようではいくら時間があっても足りない。こうしたことを避けるためには、強引にでも前倒しで具体的な仮説を立てることが肝心だ。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
この仮説を立てる際には、既存の常識にとらわれない視点も必要です。
一般的に信じられている信念や前提を突き崩せないかを常に考えるようにしたい。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
「知り過ぎ」の呪縛から逃れる
一流の専門家でも、時に新しい知恵が出にくくなることがあります。それは、**「自分たちは知り過ぎているが故に、その世界のタブーや『べき論』に束縛されてしまい、新しい知恵が出にくくなっていること」**が大きな理由の一つだと指摘されています。
業界に精通した専門家をたくさん抱えているはずの一流の会社が高いフィーを払ってコンサルタントを雇うのは、自分たちは知り過ぎているが故に、その世界のタブーや「べき論」に束縛されてしまい、新しい知恵が出にくくなっていることが大きな理由のひとつだ。優秀であればあるほど、このような「知り過ぎ」の状態に到達しやすく、そこに到達すればするほど知識の呪縛から逃れられなくなる。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
この「知り過ぎ」の状態から抜け出すためには、「自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見することが重要です。世の中の人が何と言おうと、自分だけがもつ視点で答えを出せる可能性を常に模索すべきだ、と著者は述べています。
自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見することだ。世の中の人が何と言おうと、自分だけがもつ視点で答えを出せる可能性がないか、そういう気持ちを常にもっておくべきだ。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
分析の質を高める視点
イシューと仮説が定まったら、いよいよ分析です。しかし、ここでも注意が必要です。
「分析とは比較すること」
著者は**「分析とは比較、すなわち比べること」**だとシンプルに定義しています。
「分析とは何か?」 僕の答えは「分析とは比較、すなわち比べること」というものだ。分析と言われるものに共通するのは、フェアに対象同士を比べ、その違いを見ることだ。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
部分だけでなく全体を見る
経験不足の場合、分析すべき対象の一部しか見ていないことがあります。
経験不足のときには隣に一緒に検討すべきものがありながらそれが抜け落ちている、というケースが少なくない。このような「木」しか見えていない検証は、必ずどこかで破綻する。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
そして、**「都合のよいものだけを見る『答えありき』と『イシューからはじめる』考え方はまったく違うことを強く認識しておきたい」**と強調されています。
僕たち1人ひとりの仕事の信用のベースは「フェアな姿勢」にある。都合のよいものだけを見る「答えありき」と「イシューからはじめる」考え方はまったく違うことを強く認識しておきたい
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
常にリスクヘッジを
トラブルを未然に防ぐためには、「重大なことにできる限りヘッジをかけておくこと」が基本です。
トラブルへの予防策の基本は、重大なことにできる限りヘッジをかけておくことだ。ここが崩れたら話にならない、というような重要論点については、二重、三重の検証に向けたしかけを仕込んでおく。ひとつや2つが転んでも、何とか全体としてのイシューを検証できるようにしておくのだ。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
プロフェッショナルとしての心構え
知的生産のプロフェッショナルとして、常に意識すべきは「できる限り前倒しで問題について考えること」です。これを英語で「Think ahead of the problem」と呼び、所定の時間で結果を出すプロにとって重要な心構えだと述べられています。
総じて、できる限り前倒しで問題について考えておくことだ。このように「できる限り先んじて考えること、知的生産における段取りを考えること」を英語で「Think ahead of the problem」と言うが、これは所定時間で結果を出すことを求められるプロフェッショナルとして重要な心構えだ。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
また、他者に伝える際には、「聞き手は完全に無知だと思え」と同時に「聞き手は高度の知性をもつと想定せよ」という二つの視点を持つことが重要です。
ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
経験から学び、問い続ける
本書は、「これまで〈与えられた問題にどう対処するのか〉と考えていたが、まず〈本当の問題の見極めから入らなければダメなんだ〉ということがよくわかった」という学びを提示しています。
「これまで〈与えられた問題にどう対処するのか〉と考えていたが、まず〈本当の問題の見極めから入らなければダメなんだ〉ということがよくわかった」
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
「何らかの問題を本当に解決しなければならない」という局面で、「見極めるべきは何か」「ケリをつけるべきは何か」を自分の目と耳と頭を頼りにして、自力で、あるいはチームで見つけていく。この経験を1つひとつ繰り返し、身につけていく以外の方法はないのだ。
「何らかの問題を本当に解決しなければならない」という局面で、論理だけでなく、それまでの背景や状況も踏まえ、「見極めるべきは何か」「ケリをつけるべきは何か」を自分の目と耳と頭を頼りにして、自力で、あるいはチームで見つけていく。この経験を1つひとつ繰り返し、身につけていく以外の方法はないのだ。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
日々の仕事や研究の中で「この作業って本当に意味があるのか?」と感じたら、一度立ち止まってみましょう。そして、「それは本当にイシューなのか?」と問いかけることから始めてみませんか?
毎日の仕事・研究のなかで「この作業って本当に意味があるのか?」と思ったら立ち止まってみよう。そして、「それは本当にイシューなのか?」と問いかけることからはじめよう。
引用:『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
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