人を動かす天才|田中角栄に学ぶ「泥臭くも温かい」人間力の極意

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昭和という激動の時代を駆け抜け、「今太閤」と称された政治家・田中角栄。 彼の周りには、敵対する者さえもいつの間にかファンにしてしまう、不思議な磁力がありました。 それは単なる政治的テクニックではなく、若き日の苦労や挫折から滲み出た「魂の言葉」と「行動」に裏打ちされたものです。

今回は、彼が大切にしていた人間関係の極意や、学びに対する姿勢についてご紹介します。

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敵さえも懐に抱く「圧倒的な包容力」

角栄の真骨頂は、自分を批判する相手に対してこそ発揮されました。 普通、自分に弓を引く人間には身構えてしまうものですが、彼はあえて自ら歩み寄り、相手の懐に飛び込んでいきました。

「私はまぎれもなく田中角栄の金権主義を最初に批判し、真っ向から弓を引いた人間だった」  批判していた当時、 青嵐会所属の石原は、角栄にいい感情を持たれていないことは十分承知していた。むしろ、緊張が生まれる関係といったほうがよいかもしれない。  石原がある日、テニスの名門クラブに出向いたところ、角栄と出くわした。 「おお石原君、久し振りだな、ちょっとここへ来て座れよ!」  角栄は声をかけ、自分から立って窓際に置かれた椅子を持ち寄ってくる。 「まあちょっと付き合って一杯飲めよ」  と本気で誘うのだ。石原は「〝これは何という人だろうか〟と思わぬわけにいかなかった」と、角栄の懐の深さとその時の印象を振り返る。

引用:『田中角栄 魂の言葉88』 昭和人物研究会著

相手を肩書や過去の因縁で判断せず、一人の人間として向き合う。 この「敵を味方に変える」姿勢こそが、彼が巨大な軍団を築き上げた礎となったのです。

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弱きを助け、自ら動く「現場主義」

総理大臣という絶頂期にあっても、角栄は「自分より立場が弱い人」への配慮を片時も忘れませんでした。 若き日の苦労を知るからこそ、誰に対しても尊大にならず、むしろ自ら進んで汗をかく姿に従業員や部下は心を打たれたのです。

角栄は、社長だからといって偉ぶることなく、朝早くから出社し、すすんで掃除をしたり机の上を拭いたりした。  この角栄の姿を見て、従業員たちは喜んで彼についていった。会社の実績が上がり、利益が増えれば、角栄は他社の2倍、3倍の給料を支払うこともいとわなかった。

引用:『田中角栄 魂の言葉88』 昭和人物研究会著

また、一度受けた恩や、他人の失敗に対する寛容さも彼の魅力でした。 若かりし頃、高価な商品を割ってしまった自分を責めずに心配してくれた主人の教えを、彼は生涯忘れることなく実践し続けました。

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限界を超えて学び続ける「知の探究心」

田中角栄といえば「勘の鋭い政治家」というイメージが強いかもしれませんが、その裏側には凄まじいまでの「勉強量」がありました。 彼は、人間は放っておけば退化するという危機感を持ち、夜中に起きてまで資料を読み込む努力家でした。

「たいてい夜9時過ぎには床に就くが、ひと眠りすると必ず午前零時頃に起き出す。そして夜半の2時半、3時まで机に向かって勉強する」のだそうだ。  大蔵省、通商産業省、日本銀行など各省庁から届けられた資料から、各種選挙関係のデータなどにじっくり目を通す。それを記憶し、分析し、ノートに記録していく。

引用:『田中角栄 魂の言葉88』 昭和人物研究会著

この「見えないところでの努力」が、官僚をも唸らせる知識と、シベリア抑留を巡るソ連首脳との会談で見せたような、毅然とした外交力へと繋がっていったのです。

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情の深さが道を切り拓く

田中角栄の生き方は、効率や論理だけでは説明できない「情」に満ちています。 家族との別れや貧しさを経験したからこそ、「生きているうちに、できるだけのことをしてやりたい」という強い想いが彼の行動原理となっていました。

私たちが今の時代に彼の言葉から学べるのは、スキル以上に「人を思う心の深さ」がいかに大切かということかもしれません。

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